当店紹介
当店紹介
姫丸の一夜干しができるまで
姫丸は明治(明治30年・1897年)~大正・昭和初期イワシ漁網元船主、昭和~平成15年まで大型沖合底曳網漁船(第一姫丸・県内最大49t・3億円)船主として漁業と織物製造業を営む。明治~昭和初期、海産物商として イワシの干物 干しアワビ 干しナマコ 塩 テングサ 等の加工品も製造販売(神戸・上海に出荷)。
東家120年竹串で作る、『能登の一夜干し食文化』を再現。
『石川県内 一番高い 一夜干し』(鮮度・質・減塩・味・形・色・消費期限短期・一番!)・高級ズワイガニ・高級甘エビを全国販売。
姫丸の歴史
東 治左ヱ門(菩提寺焼失の為、江戸時代過去帳記録を遡れない) - 治助(1840年・天保11年3/4生まれ~明治35年4/2死去) - 助五郎 - 治吉 - 七朗(早くに死去) - 寿郎(養子・京都市出身)
明治30年大福帳(1897年)以前、天保11年(1840年)よりも古くは江戸時代から漁業を営む。
食事処・姫丸カフェでくつろぐ大人の時間
東家に明治期(明治30年・1897年)から受け継がれてきた『120年前の竹串を使っての一夜干し食文化』。一夜干し3品を順次焼き上げ、甘エビ刺身もゆっくり味わっていただく姫丸フルコース。
姫丸美術館&食事処・姫丸カフェ
※高級ズワイガニ・高級甘エビの全国発送で多忙の為、「姫丸美術館&食事処・姫丸カフェ」は休業しております。ご了承ください。
姫丸の由来
おひめさま
東家は明治30年・1897年より代々船主の家(屋号 ジロスケ 屋号印 ㊁)でした。雄々しい船名付ける底曳船の中、歴代船は第一姫丸、第六姫丸(2隻所有時は同型兄弟船)を継承。第弐姫丸、第八姫丸、第二十一姫丸と全国でも珍しい女性の名前でした。まさに「おひめさま」
【カラー写真】平成元年の新造船 第一姫丸 大型底曳49t 鋼船 建造(全長30m 3億円 県内最大船 )
店主ぷろふぃ~る
姫丸通販・姫丸の一夜干し
代表: 東 寿郎(ひがし としろう)
昭和36年 1961年 |
彫刻家の父(小山由寿)、日本画家の母(小山静陽)の二男として京都市に生まれる。 |
昭和 57年 |
北嵯峨高校卒業後、関西学院大学商学部3 年生で結婚(3 人姉妹長女と)、東家の養子となる。甘~い新婚生活を兵庫県宝塚で過ごす。(21歳) |
昭和 59年 |
関学卒業と同時に妻の家業(沖合底曳網漁業、織物製造業)を継ぐ為、養父(当時68 歳。妻の父は早く亡くなり祖父が経営)に経営方法を徹底的にたたきこまれる。(23歳) |
昭和 60年 |
養父よりバトンを引き継ぎ、法人化(株アズマ)と同時に代表取締役になる。 大型底曳網漁船2 隻(第一姫丸、第六姫丸) 織物工場 2 工場 (24歳) |
平成 元年 |
新造船 第一姫丸 大型底曳49t 鋼船 建造(全長30m 3億円 県内最大船 ) (28歳) |
平成 2年 |
工場新築 最新鋭織機 エアージェットルーム130 台 設置 (29歳) |
平成 15年 |
負債8億円にて倒産。全財産(自宅、土地、工場、船舶)裁判所競売および処分。(42歳) |
平成 17年 |
明治、大正、昭和初期に使用した竹串で、東家に120 年伝わる一夜干し食文化を再現。 『 石川県内 一番高い 一夜干し 』を作る。(鮮度・質・減塩・味・形・色・消費期限短期・一番!) (44歳) |
平成 20年 |
北国新聞「羽咋の元船主 一夜干し特産化 再起」掲載 (新聞・テレビ・各冊子取材) 朝日新聞・「広報はくい」・北陸中日新聞に掲載。 NHK夕方ニュース ・テレビ金沢「大漁旗と一夜干し」取材放送。(47歳) |
平成 22年 |
姫丸美術館・カフェをオープン。一夜干しフルコース食べられる食事処も併設。 (49歳) |
平成 24年 |
『 姫丸の一夜干し 』 『 姫丸 』 商標登録 (51歳) |
平成 27年 |
『 完全無加塩一夜干し 』開発・石川ブランド製品認定。 |
平成29年 | 海上保安庁が姫丸所有・明治大正昭和初期『海図』に貴重資料発見、海洋情報部データ永久保存。(56歳) |
令和元年 | 『 山椒醤油タレ一夜干し 』商標登録 (58歳) |
令和2年 | 『丸ごと甘エビ昆布〆』本格販売。 ホームページ【姫丸通販】をリニューアル (59歳) |
令和5年2023年 | 姫丸建屋(10畳間18部屋)大改修 (62歳) |
令和6年2024年 | 1月1日16:10 能登半島地震 発生直後は高台に避難 。庭の灯篭が吹っ飛び、ひび隙間等で建物もダメージを受けましたが、大丈夫ですよ! 皆様からの心温まるお気遣い・励ましを誠にありがとうございます。今後とも応援を宜しくお願い申し上げます。感謝です。(63歳) |